
嵯峨天皇は、都より離れたこの地に、
后との新居として嵯峨院を建立され、
嵯峨離宮と呼ばれます。
嵯峨天皇は弘法大師とも親交を深められました。

大覚寺となったのは、
天皇の長女であられる正子内親王により。

その後、
後宇多法皇がここで院政を施行するようになり
嵯峨御所と呼ばれます。

南北朝の媾和が行われたのもここ大覚寺。
戦国時代、応仁の乱によりほとんどの堂を焼失、衰退し、
今の寺観が整ったのは江戸時代初期だとか。

大覚寺に植わった、
たった1本の百日紅が廊下を照らします。

紅の泡を垂らすこの老木は、

どの時代から参画しているのかなと
パンフを読みながら思いました。

(8月24日)
テーマ:花の京都 - ジャンル:地域情報
- 2008/08/26(火) 21:55:09|
- 洛西
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